大竹耕太郎投手は2022年の現役ドラフトで阪神タイガースに移籍しました。
移籍後の2023年シーズンに12勝を挙げ、大ブレイクし阪神の日本一に大きく貢献しました。
今回はそんな大竹耕太郎投手の家族についてまとめましたので、最後までご覧ください。
大竹耕太郎の家族構成は?
大竹耕太郎投手の家族構成は5人家族のようです。
- 父・紳一郎さん
- 母・和子さん
- 姉・沙季さん
- 祖母
- 本人(大竹耕太郎投手)
大竹投手は1995年6月29日生まれの29歳です。(2025年4月現在)
大竹投手は熊本県出身でヤクルトの村上宗孝選手と同じですね。
小学生2年の時に両親に連れられて福岡ドーム(現ペイペイドーム)に野球観戦に行っています。
その時にソフトバンクの和田投手が勝利した様子を見て、すぐにソフトバンクのファンになっています。
その観戦に行った時にソフトバンクが勝って、ドーム球場で花火が上がり家族にとって良い思い出になったそうです。
父の紳一郎さんにとっても忘れられない思い出。「私も妻も教師の仕事をしていて、球場に行けても土日。福岡も熊本から簡単に行ける距離ではないので、あの時が初めてでした」。和田が勝ち投手になり、ドームに花火が打ち上がる光景が親子の目に刻まれた。
引用元:デイリー
大竹投手は小学生になる前から野球に出会っており、友達と遊ぶなら野球をしていたようです。
父の紳一郎さんともよくキャッチボールをしていたようですね。
幼稚園年長の頃からグラブを片手にボール投げを始め、「小学校も友達と遊ぶなら野球だった」。父とのキャッチボールも忘れられない原点だ。4年生から所属した「田迎スポーツ少年団」では投手として活躍。この頃には「プロ野球選手になりたい」と、夢に向かって走り出していた。
引用元:デイリー
大竹投手がプロ1年目の2018年にソフトバンクが日本一になった優勝旅行先のハワイでもトレーニングをしていて、父の紳一郎さんをパートナーに選び一緒に汗を流していました。
ハワイでも父の紳一郎さんとキャッチボールをしていて、父とのキャッチボールは5年ぶりだと語っていました。
当時59歳だった紳一郎さんはキャッチボールの後、ランニングも付き合っていたようです。
紳一郎さんが明かす。「トレーニングができないのなら行かないというので」。そこで、キャッチボールの後は親子でランニング。中学まで野球、高校と大学では陸上のハードル選手として培った体力で付き添った。
引用元:サンスポ
父の紳一郎さんは体力的にしんどかったと思いますが、微笑ましい関係ですね!
姉が栄養面をサポートしていた!
大竹耕太郎投手の高校時代は姉の沙季さんが栄養面をサポートしていました。
高校3年間、大竹投手のために姉の沙季さんが毎朝3段弁当を作ってくれていたそうです。
「実は高校3年間、弁当を作ってくれたのも姉ちゃんで」
引用元:デイリー
大竹投手の両親はどちらも教員をされていて忙しかったので、当時大学生だった沙季さんが弟のためを思って作っていたようですね!
「両親も共働きで忙しく、私は大学生で時間もありました。野球をする上で栄養面も大事だなと思いましたので、本人の野球を応援したいなという気持ちで毎日作りましたね」
引用元:デイリー
姉の沙季さんは大竹投手の6歳上で年齢が離れている事もありケンカする事もなく、とても仲が良いそうです。
大竹投手は沙季さんをとても信頼していて、両親に話しにくい事も真っ先に沙季さんに相談してきたようです。
ネット販売の購入など生活的な相談もあれば、進路選択に悩んだ時も大竹が真っ先に相談したのは沙季さんだった。「両親に言いづらい、困ったことがあれば多分、私に連絡が来るのかな」。
引用元:デイリー
姉の沙季さんはずっと大竹投手を応援してきました。
大竹投手の苦労や思うような結果が出ない時を知っているため、大竹投手が阪神に移籍して大ブレイクした時は本当に嬉しかったと思います。
大竹投手は今や阪神タイガースの左のエースです。
今シーズンも2桁勝利を挙げてくれる事を期待したいと思います。
まとめ
今回は大竹耕太郎投手の家族についてまとめました。
- 大竹耕太郎投手の家屋構成は5人家族である。
- 大竹投手の高校時代、毎朝3段弁当を作ってくれていたのは姉の沙季さんだった。
以上です。
最後までご覧いただき、ありがとうございました!