原口文仁選手が今シーズン限りでの引退を発表されました。
原口文仁選手は2017年に結婚されていて、娘が2人います。
今回はそんな原口文仁選手の嫁さんについてまとめましたので、最後までご覧ください。
原口文仁の嫁は安達祐実似の小柄な女性!
原口文仁選手の嫁さんは安達祐実似の小柄な女性です。
原口選手は2017年3月1日に結婚した事を公表しています。
嫁さんは同じ埼玉県出身の保育士で1学年下の一般女性です。
原口選手の嫁さんと出会ったのはプロ入り前の2009年11月で当時帝京高3年だった原口選手のひとめぼれだったそうです。
原口選手が甲子園の準々決勝で県岐阜商に敗れて地元の埼玉県寄居町に帰ってきて、原口選手が所属していた少年野球チームの寄居ビクトリーズの練習を手伝いに行った時にグランドを見つめるきれいな女性を見つけたそうです。
その女性が嫁さんで弟が寄居ビクトリーズに所属していて、その練習を熱心に応援していました。
原口選手は嫁さんの心優しい人柄や澄んだ瞳に心惹かれて、原口選手の方から勇気を出して声をかけ連絡先を聞き交際が始まりました。
原口選手は2009年のドラフト6位で阪神タイガースに入団しています。
入団後は関西と関東の遠距離恋愛が始まりました。
原口選手は2軍での生活が長く2軍では関東遠征がほとんどないため、毎日電話して近況を報告していたそうです。
原口選手は2012年に腰痛を発症し、2013年には死球で左腕を骨折、2014年は右肩を痛め育成契約も経験しています。
それでも交際していた嫁さんが励まし続けてくれたおかげで乗り越えられたようです。
そして原口選手は2016年シーズンに3年ぶりに支配下登録を勝ち取りブレイクします。
2016年シーズンは1軍で107試合に出場し打率2割9分9厘、本塁打11本、46打点を記録しオールスターにも出場し大活躍しました。
原口選手は「1軍で活躍もせずに結婚の2文字を口に出すことなどできない。」という思いがあり、1軍で活躍できた2016年シーズン終了後に自宅でプロポーズしたそうです。
交際期間7年以上経ってからのゴールインでした。
嫁さんは身長150センチと小柄で大きなくるりとした目で女優の安達祐実さん似の美人だそうですよ。
2017年4月から兵庫県内で一緒に暮らしていて、現在は娘さんが2人いらっしゃるようです。
原口選手は16年間の長い現役生活、お疲れ様でした。
原口文仁を支え続けた嫁とのエピソード3選!
原口文仁選手を支え続けた嫁さんとのエピソード3選を紹介します。
小柄だが強い存在だった!
嫁さんは小柄だが強い存在でした。
原口選手は2019年1月24日に大腸がんを患っている事を公表しています。
その頃、嫁さんは年末から原口選手と一緒に埼玉県へ帰って、嫁さんはまだしばらく実家に滞在する予定だったそうです。
しかし原口選手が大腸がんだという連絡を受け、大急ぎで原口選手の元へ戻っています。
当時、原口選手はまだ26歳という若さでした。
プロ野球選手の夫が26歳という年齢で大腸がんと宣告された時、普通は不安でパニックになると思いますが、気持ちの整理がつくのにかかった時間はたったの「一日」だったそうです。
「起こりうる最悪の事態を想像して、そこに自分自身を置いてみたんです。この先どうなるか、これからどうすればいいか。一生懸命考えました。いろんなことを。それで、よし大丈夫だと思えて。だから、もう平気です」。そこにたどり着くまで、どれくらい時間がかかった?「一日です」
引用元:ヤフーニュース
たった一日で気持ちの整理がつき、大丈夫だと思えるというのはすごく精神的に強い方ですね!
普通なら不安で押しつぶされても不思議ではない状況だったとは思いますが、前向きに「いつも通り、普段通り」の毎日を過ごされていたそうです。
嫁さんは「だって、考えても仕方ないから」と語っていたそうです。
大腸がんを患った原口選手は前向きになれたのも精神的に強い嫁さんが近くにいてくれたおかげですね!
嫁さんは「主人は常に前向きです。今回のことで前向きさに磨きがかかった」と言っていました。
しかし原口選手がふと何かを考え遠い目をすることもあったそうで、その時は嫁さんは「ほらほら、どこかへ行っちゃってるよ!」と明るく声を掛けて引き戻していたそうです。
また普通に過ごしてほしいために「家にいないで練習してきて」と送りだしていたそうで、原口選手は入院前も毎日練習に行っていました。
原口選手は精神的に強い嫁さんの支えで大腸がんを克服できたようですね。
サヨナラを打っても冷静だった!
原口文仁選手ありがとう
— ラヴィちゃん (@kazenoraby) September 30, 2025
がんの闘病から復帰戦で放った初打席タイムリーヒットは一生忘れることができない感動のシーンです pic.twitter.com/LBQyx1x2Ka
嫁さんはサヨナラヒットを打っても冷静だったそうです。
原口選手は大腸がんの手術と入院を経て2月からリハビリを始め3月には練習を開始し5月にはチームに合流しています。
6月4日のロッテ戦には大腸がんから復帰し1軍の試合で代打で出場しています。
その時に原口選手の名前がコールされ応援歌を聞いた時は嫁さんは「もう涙腺爆発でした」と語っていました。
6月9日の甲子園での日本ハム戦で9回裏で代打で出場し、サヨナラタイムリーヒットを放っています。
大腸がんを克服し復帰した原口選手の活躍に甲子園は感動の渦に巻き込まれ、当時の矢野監督も泣いていたそうです。
しかし嫁さんは意外と冷静だったようです。
なぜか絶対に打ってくれるという思いがあったそうでテレビの音量を上げて見ていたそうです。
娘もいつもは他の番組を見たいと騒ぐそうですが、その時はじっとテレビに映っている原口選手の活躍を見ていたそうです。
「意外と冷静で、やったねー!という感じでした。なぜか絶対に打ってくれるだろうと思い、テレビの音量を上げて(笑)。娘も、いつもは他の番組を見たくて騒ぐのですが、じっとテレビ画面を見つめていました」
引用元:ヤフーニュース
その時、原口選手は「同点に追いついたところで、もうサヨナラの場面はイメージして待っていた」と絶対打てると思っており、嫁さんも「絶対打ってくれる」と思っていたようです。
甲子園は歓喜の渦でしたが、嫁さんは「絶対に打つ」と思っていたから、意外と冷静だったようですね。
義父の言葉に励まされた!
原口文仁選手の引退会見
— ラヴィちゃん (@kazenoraby) September 30, 2025
大好きな野球だから目標を持ち続け心が一度も折れることなく前だけを向いて進んで来れた
良い引退会見でした、本当にお疲れ様でした pic.twitter.com/JyJg1baga0
原口選手は義父の言葉に励まされた事があるようです。
原口選手が度重なる怪我で育成選手契約していた2013年ごろ、地元の埼玉県へ帰省した時に当時まだ彼女だった嫁さんの実家に原口選手が遊びに行った時のエピソードです。
原口選手が嫁さんの実家で過ごして、兵庫県の阪神の寮へ帰る時に嫁さんのお父さんが駅まで車で送ってくれたそうです。
その時に「コーヒーでも飲もうか」と誘われ店に2人で入った時に義父さんから言葉を掛けられたそうです。
義父さんから「ねえ、フミくん、野球が駄目になったら、うちに転がり込んだらいいんだから。僕が面倒をみるから。だから思い切ってやっておいで」と言葉を掛けられました。
その時、原口選手はいつ戦力外通告を受けてもおかしくない状況だったため、義父さんの言葉がとても響いたそうです。
帰りの新幹線の中で何度もその言葉が頭の中で繰り返していて「すごくうれしくて。今も忘れられないんですよね」とあとで原口選手は語っていたそうです。
その後、原口選手は大腸がんを患い復活しますが、その義父さんからの言葉があったからどんな時も頑張れたようです。
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まとめ
今回は原口文仁選手の嫁さんについてまとめました。
- 原口文仁選手の嫁さんは身長150センチで安達祐実似の小柄な女性だった。
- 原口文仁選手が大腸がんを患っている事が分かった時、嫁さんの気持ちの整理がつくのにかかった時間はたったの「一日」だった。
- 原口文仁選手が大腸がんから復帰し甲子園でサヨナラヒットを打った時は、絶対打ってくれると思っていて、意外と冷静だった。
- 原口文仁選手がいつ戦力外通告されても不思議ではない時期に嫁さんのお父さんから「野球が駄目になったら、うちに転がり込んだらいいんだから。僕が面倒をみるから。だから思い切ってやっておいで」と言葉を掛けられ、それがとても嬉しくて色んな苦難を乗り越える事ができた。
以上です。
最後までご覧いただき、ありがとうございました!